東北学院大学

経済学部 共生社会経済学科

現代社会と差別

2014年10月25日・11月1日、第34回社会福祉研究所オープンカレッジが開催されました。一般の方々と一緒に、共生社会経済学科の学生も受講しました。学生の感想の一部を紹介します。

市民社会の問題としてのハンセン病問題 ─当事者の声に耳を傾けて
本学共生社会経済学科准教授 黒坂 愛衣

  • 改めて、ハンセン病問題の深刻さを感じた。ハンセン病の患者が家族に1人いるだけで一家ごと地域からけむたがられたり、強制的に隔離されるのは現代では「おかしい」と誰もが思えるが、当時は、「それが当たり前だ」というような雰囲気が日本にあったのだと思う。女性が子どもを強制的に中絶されるのは、かなり残酷で、同じ人間にできることではないと思う。当時の人々は心のどこかで、ハンセン病患者を人ではない存在を見るかのような目で見ていたと思う。このような差別は、きちんと相手のことを理解していれば、生まれることが無かったと思う。政府が、「ハンセン病は怖いんだぞ」という雰囲気を作っていたことが原因でもあるが、ハンセン病に対する理解が当時の日本には足りなかった。現代でも問題になっている部落差別も同じだと思う。きちんとした理解が日本に浸透すればこのような差別はなくなると思う。若い世代への教育と、「知ろうとする気持ち」が今の日本には必要だと思う。
  • 私は現代社会問題論の授業を受ける中で、ハンセン病の患者が療養所に入って良かったと語る人々が一定数いることに疑問を感じていた。しかし、療養所にいた医師と職員に恵まれたからだと語っていたので納得していたが、それだけが理由でないことが今回の講演会で知った。感謝の語りは、ハンセン病にかかった人々を療養所へ追いやる力がいかに強かったかを示すものであったというのだ。外での生活の中で居場所をなくさせて、自ら入所を望ませるという内容はつまり、外の社会よりも療養所で過ごしたほうが楽だと落差をつけて、まし、と思わせていたのだろう。この人の感情を操作するやり方が非常に恐ろしい。理解や知識が無いことで誤解を招き差別に繋がっている。ハンセン病について正しい認識を持つことが大切だと感じた。

司法におけるジェンダー問題と裁判員制度
本学共生社会経済学科准教授 小宮 友根

  • 私には“健全な常識”というものがあまりよくわかりません。大学生になったので、ある程度の常識は持っているつもりでいますが、裁判員制度に対応できるような常識を持っている気がしません。規定された常識が無いからこそ、我々は考える必要があると思います。
  • 性暴力事件の裁判では、「男なら/女なら…」という考えが入り込み、「被害者は抵抗した、できたはずだ」、「被害者にも落ち度があった」、被害の重さへの無理解など偏った考えが生じることがわかった。しかし、これを1つ1つ考えていくと、あくまでも偏った、間違った常識で考えているだけだと言うことがわかる。私たちは、そんな偏った常識を常識だと思い込んでしまうことにもっと慎重にならなければならないと考えた。また、正しい知識で動くことが必要だ。

ジェンダーとエスニシティ ─「同じ人間」ではないのか?
大妻女子大学人間関係学部教授 鄭 暎恵 氏

  • この社会を1人で変えることは出来ない、と誰もが諦念を抱いてしまうだろう。私も、いくら平等ではないと思ったって、自分だけの力で何か起こせるとは思っていない。しかし、鄭先生の、始めは小さな声でいいから何か発言することが大事だ、思わぬところから援軍が出てくる、という言葉に非常に希望が持てた。
  • 女性を中心に労働環境の整備を進めることで、男性の長時間労働が改善されたら、子育てなどがしやすい世の中になる。社会が変わっていく。すると、外国人労働者の扱いも改善されるかもしれない。そして、「同じ人間」である全ての人が幸せになるかもしれない。そんな社会が実現されたらと前向きになれる講演だった。

第二次安倍晋三政権と差別社会 ─「従軍慰安婦」問題と嫌韓嫌中意識
東京大学大学院総合文化研究科教授 小森 陽一 氏

  • 慰安婦問題については以前から聞いたことがあったが、今回の講演でやはり難しい問題だと改めて思った。日本は慰安婦について始めは圧力をかけたりしていたが、後に謝罪をしている。このことから、正しい歴史を認め謝罪するなど、歴史と向き合うことの必要性を感じた。間違ったことであったなら、今後同じことを繰り返さないように歴史を認めるべきだ。また、国によって歴史認識にはずれが生じてしまうのも仕方ないと思った。しかし慰安婦問題には女性への差別も含まれている。このような問題や家制度といった昔の制度は、現在は残っていなくても性別役割分業のように社会の風潮やイメージとして定着してしまっているだろう。よって歴史が後世に与える影響は大きいと考えた。
  • 年月を経るうちに国家間の問題が民族間の憎しみ合いにかわっていったのではないのか。国の間違った指導が発端なのに、いつのまにか、日本人は~だの、韓国人は~だのと話がこじれてしまったように思う。戦争はどちらかが一方的に悪いということは少ないと思う。互いが譲歩し合える点を見つけられるかどうかが争点になるだろう。それを難しくさせるのは極端な偏向思想を持ってしまうことである。ある意味バランスのとれた考えに基づき行動すること、また偏った思想の為政者を止めることが必要になると感じた。