東北学院の「建学の精神」
東北学院の三校祖、押川方義、W・E・ホーイ、D・B・シュネーダーは、東北学院の建学の精神を、宗教改革の「福音主義キリスト教」の信仰に基づく「個人の尊厳の重視と人格の完成」の教育にあるとした。
その教育は、聖書の示す神に対する畏敬の念とイエス・キリストにならう隣人への愛の精神を培い、文化の発展と福祉に貢献する人材の育成を目指すものである。
東北学院の礎を築いた三校祖
初代院長 押川方義
(1850-1928)
松山藩士橋本家の三男として生まれ、押川家の養子となる。横浜の英学校でキリスト教に触れ1872(明治5)年バラより受洗。日本最初のプロテスタント教会である日本基督公会を組織する。1886(明治19)年、ホーイとともに仙台神学校を創設。5年後(1891(明治24)年)に東北学院と改称する。翌年初代院長に就任し、1901(明治34)年に辞任。以後も東北学院顧問として終生関わりを持つ。
初代副院長 W・E・ホ一イ
(1858-1927)
アメリカ・ドイツ改革派教会宣教師。米国ランカスター神学校卒。1885(明治18)年来日する。押川らと共に翌年、仙台神学校、宮城女学校(宮城学院)を創立。1892(明治25)年東北学院副院長に就任。1899(明治32)年学院を辞し、中国湖南省で伝道を開始する。
二代院長 D・B・シュネーダー
(1857-1938)
アメリカ・ドイツ改革派教会宣教師。米国 ランカスター神学校卒。 1887(明治20)年来日。翌年、仙台に着任し、創立されたばかりの仙台神学校教授として押川、ホーイを助ける。 1901(明治34)年には第二代院長に就任。35年におよぶ 在職中、東北学院を私塾的存在から中学部、高等学部、神学部と整った学制のキリスト教教育機関として発展成長させた。東北学院中興の祖。