東北学院大学

学長の部屋

2024年度9月期卒業式告辞

9月期卒業生の皆さん。ご卒業おめでとうございます。この日を心待ちにしてこられた保護者の皆様のお喜びはいかばかりかと存じます。東北学院大学を代表しまして心よりお祝い申し上げます。

今年の夏は昨年ほどではありませんでしたが暑い夏でした。9月に入っても30度を越える日々が続き、海水の温度が高いためか、湿気の多い日々が続きました。人類は、産業革命によって便利で豊かな生活を手に入れた反面、その生活から生じる廃熱、廃品への対策を怠ってきたために、今回能登の被害が深刻ですが、地球温暖化が急激に進行し、海水面の上昇、大型台風や線状降水帯の発生による洪水や山崩れなどの水害に悩まされています。卒業に際して、今日は「経済学の父」と呼ばれるアダム・スミスの話をしたいと思います。なぜかといいますと、私たちの経済システムである資本主義が、化石燃料の使用による産業革命とほぼ同時にはじまったのが18世紀半ばのイギリスにおいてであり、アダム・スミスはその資本主義の始まりを考察し、その行方を予言しているからであります。

スミスは、いまから300年前の1723年にブリテン島北部の王国スコットランドに生まれました。当時スコットランドはブリテン島南部の王国イングランドと合併していましたが、独自の文化や伝統を持っており、よく日本の東北に例えられる地域です。本学の三校祖の一人である押川方義は、宗教改革、産業革命を成し遂げたスコットランドに理想の国を求め「東北をして日本のスコットランドへ」という言葉を残しています。スミスは、グラスゴー大学を卒業後、名門オックスフォード大学で学ぶのですが、イングランドの大学教授の不勉強を嘆いて、グラスゴーに戻り、28歳の時にグラスゴー大学倫理学教授に就任します。グラスゴー大学では、当時、古い技術の伝承を拒否したがゆえに街中のブリキ職人組合というギルドから追放されて、理科実験助手をして難を逃れていたジェームズ・ワットとも交友関係をもっています。ワットは皆さんもご存知だと思いますが、石炭という化石燃料を使った蒸気機関の改良によって生産力を飛躍的に拡大し、産業革命を推進した人物です。

ワットの発明は画期的なものでしたが、当時は大半の産業が「新産業」ですので、べンチャービジネスの時代でもありました。現代もGhatGPTが発明され、その発明を取込んだ新しいビジネス、すなわち、べンチャービジネスに期待が寄せられています。べンチャーという言葉には、「新産業」という意味も含まれますが、「冒険」という意味も込められており、必ずしも成功が約束されているわけではないということは、今も昔も変わりません。いくつものべンチャービジネスが成功すれば資本主義が発展し、旧態依然とした商品しか市場に供給できなければ、資本主義は衰退していくのです。

今日は社会に出る皆さんに、スミスの資本主義における人間像から大事な2点を示したいと思います。第一は、自分の中に「公平な観察者」(impartial spectator)の視点をもつことです。皆さんは卒業後、「経済人」(ホモ・エコノミクス)として、商品の生産・交換・消費に従事する立場に立たされて生きることになります。家庭や職場において、労働によって富を増大させて生活していく行為主体、利害当事者になります。しかし、自分だけで家庭や仕事が成り立つわけではありません。家庭では親子、配偶者、職場では同僚、上司部下が自分のことをどう考えているのだろうかという点が気になります。行為主体として自分の行為や利害の「観察者」であるだけではなく、自分の中にもう一つ、利害関係抜きに「公平な観察者」の目をもつことによって、自分と相手の立場を冷静に観察し、自分の行為や感情を相対化し客観化する視点が必要であるとスミスは指摘します。すなわち、自分の立場、自分の利害をただ押し出すのではなく、自分の中にある「公平な観察者」の目を通じて、自分や相手の立場を観察して、自分の立場を受け入れてもらうように抑制することでより大きな進化がなしとげられるのです。今後、心の中に冷静な「公平な観察者」の目をもつことができるかどうかによって、「経済人」となる皆さんの人生は大きく変わるはずです。

第2は、人間同士の間にある「共感」(sympathy)に信頼を置きなさいということです。スミスの市場経済に対する見方は、あの有名な「見えざる手」によって導かれる予定調和論です。市場経済においてそれぞれが自分の利益を追求すれば、「見えざる手」に導かれて社会全体で適切な資源配分ができるため、結果的にそれは好ましいことで、社会の繁栄と調和がもたらされる。実際スミスの考える「経済人」は愛を唱え、施しを与える「利他心」よりは、自分の利益のために、向上心をもつ「利己心」の持ち主でした。具体的にいえば、国王、貴族、教会、地主のような上流階級ではなく、自分の利益を求めてべンチャービジネスに乗り出すヨーマンリーのような独立自営農民・職人などの中下層階級でした。現在は、地球温暖化問題があり、スミスの「見えざる手」は破綻したかのように思われますし、利己心だけに任せておいても課題解決にはならいという時代でもあります。しかし、スミスは人間同士の間には、「共感」があることを指摘します。すなわち、人間には、直接自分の利益に関係なくとも、他人の境遇に関心を持ち、それを観察することで、何らかの感情を引き起こす。他人の感情や行為が適切であるかどうかを判断する心の作用がある、というのです。もちろん、課題解決のためには、政府の政策立案が必要でしょうし、とりわけ地球温暖化問題の解決のためには国家間の取り決めも必要でしょう。しかし、市場経済において利己心から自己利益を追い求めようとしても、他人に「共感」をもって支持されるような商品を開発しなければ、市場の支持が得られないということでもあります。ガソリン車よりも地球環境にやさしいハイブリッド車や電気自動車が売れるのもそのためです。SDGsの時代、私には、人間同士の間にあるこの「共感」こそが「神の見えざる手」のような気がしてなりません。

スミスにこのような人間観をもたらしたのは、時代の変化もさることながら、キリスト教の豊かな思想的背景があってのことでしょう。東北学院大学はキリスト教による人格教育を建学の精神とする大学であり、LIFE LIGHT LOVEをスクールモットーとする大学です。LIFEとは、神が与えた命の大切さであり、個人の尊厳の大切さであります。LIGHTとは、大学で学んだ知識や技術で世界を明るく照らすことです。そしてLOVEとは、互いに愛し合い、仕え合うような関係を作ることです。どうか、皆さんのこれからの長い人生が神によって祝福され、人類の生存に貢献するものであることを祈り、お祝いの言葉とします。ご卒業おめでとうございます。

2024年9月30日

東北学院大学 学長 大西 晴樹